今月下旬から東京とロサンジェルスでモーターショーがあります。車の流線形デザインを見ると建築の形は何と保守的なのだろうかとよく思います。車は風を切って走るので流線形であることは合理的です。地面に根を張って微動だにしない建築が流線形であると「未来的なデザイン」とか言われて、今は良く見えても近い将来陳腐化する可能性が高いのです。
建築は動かず街とつながっています。街の中に建築があり、建築が街を構成します。建築には「場所性」があり、街と呼応する形になることが多いのです。一方、車は移動して、いつどこにあるかわかりません。車の形は置かれている周囲とは無関係で、一般に自己完結した左右対称形です。
車の寿命は10年10万キロと一般に言われています。海外でも15年30万キロが限界だそうです。一方、日本の建築は平均寿命が40年、さらに欧米並みの100年まで伸ばそうとしています。建築に使用する材料や風雪に耐えるディテールは当然車のそれとは異なります。
また、車は大量生産品ですが、建築は一品生産です。複雑な形は当然コストアップとなり、大量生産によって吸収できるカーデザインの初期投資も、建築一棟ではまかないきれません。市場に流通している大量生産品である建築材料も、複雑な形態をつくるのには適していません。
建築には豊かな移動できるインテリアがあります。庇や軒下といった外と内の中間的な空間もあって、それが建築の曖昧な輪郭線として表現されます。車にもインテリアはありますが、外と内は完全に分かれて、外形は彫刻のようにはっきりと表現されています。
カーデザインと建築デザインは異質のものです。建築を車のようにはデザインするのは難しい。でも、そこが面白いのかもしれません。