再開発で注目されている「日本橋」へ行く機会があり、「日本橋」のデザインを見て「日本的なるもの」について考えさせれられました。彫刻と橋体のバランスが良く、一見すると西洋伝統様式のようですが、よく見ると日本的(アジア的?)な怪しさも感じます。
現在の「日本橋」は1603年に架けられた初代から数えて19代目になるそうです。装飾設計は明治を代表する建築家の妻木頼黄(つまきよりなか 1859-1916)で、1911年(明治44年)の完成。橋体は花崗岩貼りの西洋ルネサンス様式ですが、「日本橋」が江戸の中心で、日本の道路の里程元標でもあったことから「日本的なるもの」を表現しています。具体的には両端の燈柱足元の獅子像、中央燈柱の麒麟像と松・榎のレリーフといった日本的モチーフの採用です。
妻木頼黄は、東京駅(東京停車場 1914年竣工)を設計した辰野金吾(たつのきんご 1854-1919)、赤坂迎賓館(1909年竣工)を設計した片山東熊(かたやまとうくま 1854-1917)と同時代の巨匠ですが、東京大学工学部前身の工部大学校を中退して渡米し、ニューヨーク州コーネル大学建築学科を卒業しています。海外留学すると日本人であるアイデンティティを意識するもので、西洋建築を素直に受け入れた辰野金吾や片山東熊と異なり、妻木頼黄は西洋建築に圧倒されながらも「日本的なるもの」を常に模索していたのではないでしょうか?
ガラスやコンクリートで出来た近代建築も西洋の発明で、日本の現代の街並みも西洋の模倣なのかもしれません。日本の近代建築家も西洋と同じ建築材料を使いながら形や空間の「日本的なるもの」を表現してきました。私自身も留学した際には日本人であることを意識させられましたが、過剰に「日本的なるもの」を追求せずに、与えられた日本での設計条件に素直に対応するのが結果として「日本的なるもの」につながるのではないかと思っています。